光州では歴史、陶器、そしてアートビエンナーレが見られます
光州では歴史、陶器、そしてアートビエンナーレが見られます
光州(クァンジュ)広域市は全南地区の140万人の人口を持つ韓国で6番目に大きな街です。国の真反対に位置するソウルとはバスで約3.5時間の距離にあります。この街では毎年キムチフェスティバルが開催され国内外から多くの旅行者が訪れ、また2002年FIFAワールドカップの開催都市のひとつでした。光州における主な観光アトラクションは、無等山公園、そして光州キムチフェスティバル、光州ビエンナーレ、韓国の伝統的なゲームの退会などの非常にバラエティに富んだ様々な文化イベントが開催されています。
5月18日国立墓地
無等山の正面には国立墓地があり、それは自由と民主主義のシンボルであり、そしてまた1980年5月の民主主義運動の間の被害者達が眠る場所でもあります。1980年5月18日に韓国軍は光州またその周辺にて数百人の人々を虐殺しました。その数ヶ月前には軍事クーデターがあり独裁政権が国政を握り、軍事法を制定しました。学生を始めとした多くの韓国国民は民主主義者であり、全国各地にて抗議の叫びを挙げました。不運なことは、その抗議は害のないものであり、軍部はその群衆に発砲することでその静寂を破ったのです。韓国軍と市民兵は一週間にわたり戦闘を続けました。最終的に韓国軍が勝利し、多くの罪の無い一般市民が犠牲になりました。事態は鎮圧され、暴動を引導した者達は投獄され、拷問や処刑が行われました。しかし、これらの事実は80年代後半から90年代の初めに韓国が民主主義国家になり、これらの事実を証明する調査が行われるまで世に知られることはありませんでした。さらなる情報を知りたい方は「光州事件」とGoogleしてみて下さい。この国立墓地はそれらの犠牲者の勇気と名誉を讃え、そして母国の民主主義に身を捧げて散った全ての犠牲者達を同じ場所に埋葬し、将来の韓国のために民主主義のシンボルを残すために建造されました。現在5月18日は民主主義の日として国の休日になっています。
光州国立博物館
この博物館は文化遺産の主に保存、収集しており、その種類と時代により7種類のカテゴリーに分類して展示しています。韓国の伝統陶器はこの都市から生まれ、最古に発掘された陶器から現在の陶器になるまでのスタイルや製造工程の変化の歴史を見ることができます。あなたは陶器の生産工程の全てを知ることができます。また、朝鮮粉青沙器も展示されています。
光州ビエンナーレ
光州ビエンナーレはアジアで最初の現代アートのビエンナーレです。光州ビエンナーレの原点はアートのグローバライゼーションと多様性を尊重するというアイデアから来ています。60以上の国から500以上ものアーティストが参加し、世界各国からの学芸員や批評家達がこの地方都市に訪れます。そのように、光州ビエンナーレは国際的なアートネットワークの変遷を探検し、また主観的に新たな芸術技法を試み、そして国境を越えてもしくはローカルな意識にフォーカスしたモダンアートの制作条件を調査するための場を提供しています。今日において、この光州ビエンナーレはアジアだけでなく、世界のモダンアートを語る上で非常に重要な位置を占めています。